向平城(むかいだいらじょう)

所 在 地  西牟婁郡白浜町向平
標   高  127m
比   高  100m
築 城 者  不明
築 城 年  不明
形   式  山城
遺   構  曲輪 土塁 堀切    
登城時間  30分
 

歴 史

 向平城は築城年代・築城者ともに不詳であるが、中世に日置川中流域を支配していた小山氏の城であった可能性がある。小山氏は富田荘(現・白浜町)を領有していた時期もあり、日置川中流域と富田荘は街道によって結ばれていたと考えられることから、向平城もこうした交通路と関係する城であった可能性が考えられる。
 長禄2年(1458年)、守護畠山氏の内訌に際して政長方についた小山氏は、義就方の愛洲氏を攻め、目吉良城、衣笠城、龍口城を攻め落とすなど、武功を挙げている。
 また、天文3年(1534)には、守護畠山稙長が命令に従わない龍松山城主山本氏を討伐するため、山本氏の家臣である内河氏が拠る鴻巣城攻めを命じ、小山式部大輔が出陣している。このことからも、小山氏が畠山氏の被官として活動していたことがうかがえる。
 さらに、天正19年(1591)には、豊臣秀吉による朝鮮出兵に際して、小山石見守が水軍として参戦した記録も残されている。
 なお、明治22年(1889)の水害によって流出した日置川対岸には、小山氏の菩提寺であった徳清寺や、後に合祀されて現在は失われた教子明神社があった。これらが所在した南側麓の宮の平には、小山氏が居館を構えていたとの伝承が残っており、向平城との関係からも注目される。
   

現 状

 向平城は、日置川中流域左岸の大きく蛇行する川によって形成された半島状の丘陵、その山頂に築かれている。
 城跡までは、携帯電話基地局の保守作業用道路が整備されており、車で近くまで行くことができる。
 遺構は東西に延びる尾根上に曲輪を配置し、2か所に堀切が設けられている。また、西側の曲輪には一部に土塁が残されている。
 城跡にはかつて神社が建てられており、その建立に伴って造成などが行われ、城郭遺構が改変された可能性も考えられる。
 小山氏は南北朝時代から室町時代にかけて、日置川中流域や富田荘などを領有し、この地域で勢力を誇ったとされる。
 しかし、現在のところ小山氏の城跡と考えられる遺構は向平城以外に確認されておらず、今後、周辺地域で新たな城跡が発見される可能性もある。


写 真

                                 
向平キャンプ場 作業道路
東端の曲輪 掘切
堀切 石積
土塁 東側遠景

                    

地 図




紀南地方の城跡