向平城(むかいだいらじょう)

所 在 地  西牟婁郡白浜町向平
標   高  127m
比   高  100m
築 城 者  不明
築 城 年  不明
  式  山城
遺   構  曲輪 土塁 堀切    
登城時間  30分
 

歴 史

 向平城は築城年代、築城者不詳であるが、中世日置川中流域を支配していた小山氏の城であった可能性がある。また小山氏は富田荘(現白浜町)を領有していた時期があり、日置川中流域と富田荘は街道で結ばれていたと考えられる。
 長禄2年(1476年)、守護畠山氏の内証により政長方であった小山氏は、義就方の愛洲氏を攻め、目吉良城衣笠城龍口城(田辺市)を攻め落とすなど武功を挙げている。
 また天文3年(1534年)守護畠山稙長が、命令に従わない龍松山城主山本氏討伐のため、山本氏家臣である内河氏が拠る鴻巣城(白浜町)攻めに小山式部大輔が出陣を命じられるなど、畠山氏被官として活躍した。
 天正19年(1591年)豊臣秀吉の朝鮮出兵にも水軍として小山石見守が参戦している記録が残されている。
 明治22年の水害で流出した日置川対岸にある小山氏菩提寺である徳清寺や合祀され現在はない教子明神社は、南側麓の宮の平にあり、そこは小山氏が居館を構えたとの伝承がある。 
   

現 状

 向平城は日置川中流域左岸の川が大きく蛇行する半島状となっている山頂にあり、携帯電話基地局用作業道路が城跡まで整備されている。
 遺構は東西尾根上に曲輪及び堀切が2か所と、西側曲輪には一部土塁が残されている。
 城跡の場所にはかつて神社が建てら、その時に城跡が改変されてしまった可能性がある。
 小山氏は南北朝時代から室町時代にかけた日置川中流域や、富田荘らを領有など勢力を誇ったが、向平城以外城跡はなく、今後別の場所で小山氏の城跡が発見される可能性もあると思われる。


写 真

                                 
向平キャンプ場 作業道路
東端の曲輪 掘切
堀切 石積
土塁 東側遠景

                    

地 図




紀南地方の城跡