目吉良城(めきらじょう)

所 在 地  田辺市目吉良
標   高  484m
比   高  180m
築 城 者  山本氏
築 城 年  不明
  式  山城
遺   構  曲輪    
登城時間  40分
 

歴 史

 目吉良城は龍松山城主山本氏の城であり、長禄2年(1458年)紀伊守護職畠山基国の実子義就と養子の政長との家督相続争いにより、義就方であった山本氏に対して、政長方の日置久木城主小山家長に攻められ落城したという。 

現 状

 旧田辺市最奥部に位置する目吉良地区に城跡はある。
 目吉良地区は明治22年この地方を襲った大水害により大規模な土砂崩れや洪水により甚大な被害を受けて住人が下流の伏菟野地区等に移住したため廃村となった。
 城跡までは軽自動車が通れる道幅で途中からは未舗装となっており、軽の四輪駆動車が最適である。
 城跡への入口には昭和17年木炭増産奨励の特使久松侍従がこの地を訪れた記念碑があり、石碑左側より谷沿いを上り、そこから急な杉林の斜面を登ると平坦地が城跡である。
 曲輪は40m×30mほどで自然地形であるが、これは大水害により地形が変形したかもしれない。
 曲輪東側に低いが土塁があり、下方の谷沿いに当時の山道が通っていたと思われ、通行者を監視できる位置にある。
 目吉良城は今まで歴史書に登場するもその所在が不明であったが、地元の歴史家の方が苦難の末発見された城跡である。

写 真

                                 
曲輪から谷間方面 東側下方には小川が流れている
東側土塁 曲輪西側斜面
 
炭竃跡 谷沿いの川
城跡に至る斜面 侍従の碑


経 路

                                                   

     

                                     

地 図





紀南地方の城跡