楠本城(くすもとじょう)

所 在 地  田辺市下万呂
標   高  29m
比   高  16m
築 城 者  楠本氏
築 城 年  不明
  式  丘城
遺   構  なし   
登城時間  5分
 

歴 史

 楠本氏の祖は河内国楠氏であり、楠本六郎忠實は応永25年(1418年)この地方での南朝方と北朝方の合戦で、南朝方として龍松山城主山本氏と行動を共にし山本氏より竜口城(田辺市)を与えられ、その後現在の下万呂方面に進出しに楠本城を築いたという。
 楠本氏はその後も領土拡張を図り、現在の田辺市新庄町にある中山城(田辺市)も支配範囲としたが、天正9年(1581年)正月に山本氏当主康忠より一番杯を受けたことに激怒した家老山本兵部により楠本氏は親子共々討たれ滅んだという。 
 

現 状

 田辺市下万呂に二つ並んだ小高い丘があり、前面に左会津川が流れ、上流側にあるのが楠本城で下流側にあるのが初山城(田辺市)である。
 二つの丘の間は現在田んぼとなっているが当時は沼地であり通行困難であり野猿が張り渡され、物資などを運搬していたとの伝承がある。
 城跡は現在ミカン畑と一部雑木林となっているが、ミカン畑に開墾された部分は遺構も残されていないが、雑木林には曲輪の一部と南側には腰曲輪状の平坦地が残されている。
 また幕末には黒船来襲に備えて田辺城(田辺市)を楠本城や初山城一帯に移す計画があり、山を削って状縄付近の沼を埋め立てた現在の地形になったようである。 

写 真

                                 
ミカン畑 ミカン畑
ミカン畑 雑木林最高所
一段下がった腰曲輪のような平坦地 城の間にある田んぼ(状縄との地名)
左が初山城、右が楠本城 北側道路より遠景

                                     

地 図




紀南地方の城跡