和歌山県内にある中世城跡を中心に訪れています

                                                               
                                         開設日 令和2年9月19日
       

はじめに

 子供の頃より歴史好きであった管理人が、徳川御三家の居城である和歌山城をはじめ和歌山県内にある有名、無名な城跡を実際に訪れ、その遺構や歴史について綴ったサイトです。 
 和歌山県内には約800箇所の城跡がありましたが、開墾や宅地造成等によりその姿が失われつつあり、そんな貴重な郷土の文化遺産にスポットをあてるためにこのサイトを開設しました。
 県内にある城跡の殆どが白亜の天守がある象徴的な城ではなく、土を掘って堀を築き、その土で曲輪に土塁を積み上げた質素なものでした。しかしその姿はまさに実戦のために築かれたものであり、人々の緊張感が伝わってきます。
 皆さんもそんな「兵どもが夢の跡」に立ち、当時の情景を思い浮かべてみませんか。

中世期の紀州

 南北朝合一後は畠山氏が紀伊国守護職であったが、高野山、根来寺、粉河寺、熊野三山等の寺社勢力や、雑賀衆や国人衆である湯河氏、玉置氏の勢力が強力であったため、その支配力は在田郡(現在の有田市及び有田川町周辺)のみと限定的なものでした。
  戦国時代末期に日本を訪れたポルトガル人宣教師のルイス・フロイスは、「紀州には四つ五つの共和国的な存在があり、いかなる権力者もそれを滅ぼすことができなかったのみか、ますます大勢の巡礼が絶えずその地に参詣していた」と述べており、この共和国的存在とは高野山、粉河寺、根来寺、熊野三山を指していると思われます。紀州は宗教権力及び国人領主による惣国一揆により日本最後の共和国として栄華を誇っていました。
 しかし天正十三年(1585年)天下統一を目指す羽柴秀吉が紀州に侵攻し、多くの城や寺社は焼き払われ、国人領主らも淘汰されることにより紀州における中世時代は終焉を迎えました。             

紀州武家列伝  

 戦国時代に紀州で活躍した守護や国人衆を紹介しています。

城跡分布図 

 県内の城跡位置を示しています。

城跡探訪録

 訪れた城跡の歴史や遺構について紹介しています。


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