山城の基礎知識
 
 山城は南北朝時代から戦国時代にかけて山を切り盛りして造られた防御施設であり、言葉通り、土から成るものであった。山城は兵が駐屯する曲輪と、地形の弱点を補うために人工的に造られた堀切、竪堀、土塁、切岸から構成されている。ここでは平須賀城(みなべ町)模型及び八幡山城(白浜町)の復元図を用いて山城の構造を解説します。

       
                               ※うめ振興館平須賀城模型より 
           

                              ※八幡山城案内看板(復元図)に作図

曲 輪(くるわ)

  兵の駐屯や建物を築造するため尾根や斜面を造成してつくり出された区画を曲輪といい、当時の文献では「曲輪」の表記が一般的だが、江戸時代には「郭」が用いられた。
  曲輪は、つくられた場所やその役割によって種類があり、曲輪の中心となるものを主曲輪(主郭、本丸)と呼び、主要な曲輪を取り巻くように配置された細長い曲輪を帯曲輪(おびくるわ)、また山の斜面を階段状に削平地し敵を誘い込み、高所から攻撃するため配置された腰曲輪〈こしくるわ)がある。


主曲輪(手取城)  主曲輪(龍松山城)

堀 切(ほりきり)

  堀切は曲輪と曲輪を独立させるためや、尾根筋から侵入する敵を遮断するために掘られた山城防衛の基本施設であり、平時は堀切に木橋や土橋が架けられた。

堀切(佐部城) 堀切(手取城)

竪 堀(たてぼり)

  山城周囲の斜面と並行して掘られた空堀で、城を攻める敵の横移動を阻害する。また連続して3つ以上並べたものを畝状空堀群という。

畝状竪堀群(平須賀城) 竪堀(虎松山城)

横 堀(よこぼり)

 曲輪を取り囲むように掘られた空堀で、斜面を下から登ってくる敵を遮ったり、城兵の通路として利用された。

横堀(土井城) 横堀(国陣山城)

土 塁(どるい)

 土塁は堀切などを掘った排土を利用して、曲輪の周囲を土盛りした壁を構えて攻め手の侵入を防いだり、弓矢や鉄砲の弾除け、また敵を迎え撃つ時の足場として利用された。 


土塁(亀山城) 土塁(手取城)

虎 口(こぐち)

 虎口は城への出入り口であり、防御のため入口を小さく開けることから「小口」とも呼ばれる。虎口には直線的に進入可能な平入り虎口と、出入口付近の土塁をずらせた喰違虎口、更に進化してL字状に土塁を設けた枡形虎口がある。

虎口(勝山城) 虎口(八幡山城)

切 岸(きりぎし)

  切岸は斜面を通しての敵の侵入を防ぐため、山の斜面を切り落として作られた人工的な「崖」或いは「壁」である。

切岸(広城) 切岸(中村城)


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