高家城(たいえじょう)

所 在 地  日高郡日高町池田
標   高  258m
比   高  253m
築 城 者  不明
築 城 年  不明
  式  山城
遺   構  曲輪 堀切     
登城時間  30分

 

歴 史

 日高平野北部に位置する高家は、平安時代から鎌倉時代にかけて聖護院や熊野新宮社家の所領であったが、南北朝時代以降は湯河氏や畠山氏に所領が移ったと思われる。
 高家城の築城者は不明であるが、三好氏が阿波国より由良港より上陸、本之脇城阿尾城志賀城小坊子ケ峰城(日高町)を次々と築いたが、高家城も同様に三好氏が築いたと思われる。
 

現 状

 日高郡高家の北側に連なる山の一角、標高258mに「城ノ野」と呼ばれる場所が高家城跡である。
 城跡までは国道42号を日高町から由良トンネル手前を左折し農免道路に入り、携帯電話基地局に通じる道路から未舗装の山道を進むと高家城に到達する。
 城跡は尾根上南北に曲輪が2か所あり、北曲輪は荒れ地となった平坦部と東尾根に堀切が1条掘られている。
 北曲輪を南に向けて尾根を進むと南曲輪と腰曲輪があり、南側尾根に浅い堀切が1条掘られている。
 高家城は、南・北曲輪ともに切岸が明確ではなく、また北曲輪は道路建設や開墾により改変されたと思われる。
 

写 真

                                 
登城口 山道
建物跡 北曲輪
北曲輪 北曲輪基準点
北曲輪東尾根堀切 南曲輪
南曲輪腰曲輪 南曲輪腰曲輪と切岸
南曲輪堀切 南曲輪堀切

経 路


           

                                

地 図






紀中地方の城跡