志賀城(しがじょう)

所 在 地  日高郡日高町志賀
標   高  95m
比   高  62m
築 城 者  三好義長
築 城 年  大永2年(1522年)
  式  丘城
遺   構  曲輪 土塁 竪堀     
登城時間  30分

 

歴 史

 古文書である「鞍賀多和長尾記」によると、大永2年(1522年)紀伊守護職である畠山高国の留守を狙って細川氏の家臣である三好義長が阿波から由良港に上陸し志賀城を築いたと云われ、家臣である四宮五郎が城主を勤めたと云う。
 その後河内国より畠山高国が帰国し湯河氏ら麾下の国人衆を集め三好氏を退去させたという。
 また地元の伝承では、手取城主玉置氏の一族である玉置権之丞が居城とし北西麓に屋敷を構えたといわれ、近くにある浄恩寺門前の茶屋付近に側室の屋敷があり、今でも妾屋敷の地名が残されている。 
 

現 状

 城跡までは北側麓山道より登り、途中簡易水道施設を通過すると西側曲輪に達する。
 志賀城は南東にある最高所が主曲輪であり、そこから北西に向けて段差の少ない5箇所の曲輪が連なる。
 主曲輪には切残された土塁と西側岩盤に柱穴があり「旗立岩」と呼ばれている。
 また登城ルート途中の斜面には堀切とそれに続く竪堀が1条確認できた。
 

写 真

                                 
登城口 山道
北側尾根竪堀 北側尾根堀切
北西曲輪切岸 見張台が置かれた北西末端の曲輪
北西曲輪 中央土塁
主曲輪土塁 旗立て岩

経 路

           

                                

地 図






紀中地方の城跡