上野山城(うえのやまじょう)

所 在 地  田辺市上の山
標   高  30m
比   高  25m
築 城 者  不明
築 城 年  南北朝時代
  式  丘城
遺   構  なし    
登城時間  5分
 

歴 史

 上野山城は南北朝時代に湯河氏が江川浦の北西にある八王子山口に砦を構え、八王子砦と称したことから始まる。
 天文22年(1552年)亀山城主湯河直光が守護職畠山氏に背いたため、畠山氏は龍松山城主山本広信に討伐を命じ、印南原の合戦に湯河氏が破り、上野山城に山本広信を城代として入れた。
 天正18年(1590年)豊臣秀長の家臣である杉若越後守が泊城(田辺市)より当城に移って改築にあたり、御坊小松原九品寺を移し城の大広間にし、田辺新熊野社(闘鶏神社)の門を城門としたという。
 慶長5年(1600年)関ヶ原の合戦後浅野氏が紀伊国37万6千石で入部、家老である浅野氏重が田辺3万石で上野山城に入ったが、新たに会津川河口洲崎城を築いたため上野山城は廃城となった。
 

現 状

  現在の八立稲神社付近が城跡であったと思われるが、遺構や規模は不明であり正確な位置すら分からない。
  八立稲荷神社は田辺市街を見下ろす丘陵上にあり、近隣には熊野古道九十九王子の一つである出立王子があることから、当時から交通の要衝であった。
 八立稲荷神社の麓は古町と呼ばれ、古町の中には瓦町や公文町があったことから当時は城下町を形成していたと思われる。
 

写 真

                                 
八立稲荷神社 参道

       

地 図




紀南地方の城跡