鏡子山城(きょうしやまじょう)

所 在 地  田辺市上秋津
標   高  92m
比   高  65m
築 城 者  愛洲氏
築 城 年  不明
  式  山城
遺   構  曲輪 堀切 竪堀 横堀   
登城時間  5分
 

歴 史

 鏡子山城は高尾山(標高605m)の西側麓にあり、右会津川中流域に位置する。
 鏡子山城は衣笠城(田辺市)を居城とする愛洲氏の支城であり、ここからは衣笠城や秋津平野を見渡すことが出来る。
 天正12年(1584年)愛洲氏は秋津荘を湯河直春の大軍に攻められ、一族である城主長俊は、鏡子山城から詰城である鷹ノ巣城(田辺市)へと移り防戦したが破れ、長俊は鷹巣ノ城から傘を使って群がる敵の中へ飛び降り討ち死にしたと伝承がある。
 鏡子山城からは衣笠城(田辺市)と鷹ノ巣城が見渡せ、秋津、三栖を支配する愛州氏にとって重要な城であったことが分かる。 
 

現 状

  県道29号線からゴルフ場看板を目印に団地を抜け、池を通り過ぎた後に左折し急斜面を登ると山城跡に到達する。 
 城跡は遺構の一部が農道や梅畑となって破壊されているため当時の全体像は確認できないが、残された遺構は形を良く残している。
 主曲輪は25m×10mほど残存し、北側に腰曲輪を配置し、その下方に横堀と竪堀があり、また西側には深い堀切と竪堀で尾根を遮断している。 
 鏡子山城は遺構から戦国時代末期湯河氏の来襲に備え大幅な改修が施されたと思われる。

写 真

                                 
主曲輪 主曲輪切岸
南側竪堀 西側竪堀
西側帯曲輪と切岸 西側横堀
道路建設で掘削された部分 衣笠城方面遠景


地 図




紀南地方の城跡