鷹ノ巣城(たかのすじょう)
所 在 地 田辺市上秋津 標 高 367m 比 高 267m 築 城 者 愛洲資俊 築 城 年 不明 形 式 山城 遺 構 曲輪 堀切 柱穴 登城時間 1時間30分
歴 史衣笠城(田辺市)を築いた愛洲経信七世の孫、左衛門少尉資俊が築城し、資俊は上・下秋津の地頭を勤めた。天正13年(1585年)城主鷹ノ巣小太郎こと愛洲長俊は、羽柴秀吉南征軍の部将である杉若越後守に攻められ、もはやこれまでと傘を落下傘にして群がる敵陣に舞い下り、奮闘したが討ち取られ落城したという伝承がある。 また奥方である「お杉」も傘にて続いて降りたが敵手をまぬがれ、その後余生を全うし現在の地名杉ノ原はそこから呼ばれるようになったという。(案内板より) しかし案内板とは異なるが天文11年(1542年)には秋津雲森宮の再建を愛洲長俊が行った記録があるが、永禄4年(1561年)の若一王子社殿棟礼には湯河直光の名前が記されていることから、上・下秋津荘の支配者が愛洲氏から湯河氏に移ったことが分かるため、案内板の記述は湯河氏と愛洲氏の合戦時における伝承ではないかと推測される。 |
現 状城跡まではまず、右会津川上流にある景勝地奇絶峡から不動の滝、磨崖三尊大石仏を過ぎて近畿自然歩道を約1km登る。そこから南側の雑木林を進み尾根を下ると堀切があり、それを越えて10mほど急斜面を登ると到達する。城跡の中央部分には二つの巨岩が露出し、その南側には南北11m、東西10mの主曲輪がある。 主曲輪より東側から北側へ通じる山道の先にも自然地形である北側曲輪がある。 また中央にある二つの巨岩の間から岩場頂上部へ登ると、左右に人工的に掘削された深さ20cm幅20cmほどの円錐状の穴が2カ所あるが、旗立て穴との伝承がある。 鷹ノ巣城は標高367mの断崖絶壁にあるため、街道の押さえではなく、権力の象徴として築かれたと思われる。 なお鷹ノ巣城までの経路は急斜面かつシダに覆われ、また城跡周辺は断崖絶壁であることから登城時には十分注意願いたい。 |
写 真 |
遊歩道入口 | 不動の滝 |
磨崖三尊大石仏 | 遊歩道 |
東側堀切 | 東側竪堀 |
堀切から主曲輪斜面の望む | 主曲輪 |
主曲輪巨岩頂部への通路 | 掘削された柱穴 |
北側曲輪への通路 | 北側曲輪(ほぼ自然地形) |
標高330mより城跡遠景 | 気絶峡を見下ろす |
秋津平野方面 | 案内看板 |
経 路 |