古武之森城(こぶのもりじょう)

所 在 地  西牟婁郡白浜町伊古木
標   高  301m
比   高  295m
築 城 者  不明
築 城 年  不明
  式  山城
遺   構  曲輪 土塁 石垣 堀切    
登城時間  1時間30分
 

歴 史

 この城は地元での伝承や文献資料にも登場しないが、周参見荘から安宅本城(白浜町)や塩野へと通じる最短ルート上にあり、「安宅一乱記」には、「古武之関」として登場する。
  大永6年(1526年)に、12代当主安宅実俊が病没し、嫡男である安宅安定と叔父である定俊との家督争いとなり、安定方の援軍として阿波より小笠原右近大夫がこの城に拠ったと云われる。
 
   

現 状

 古武之森城は安宅荘と周参見荘を隔てる標高301mの古武山にあり、勝山城より東に約800m離れた集落と隔絶した山中にある。
 城跡までは勝山城(白浜町)を経由し、北側の連続堀切を抜け約300m尾根道を進み、そこから南東尾根を約600m進むと城に達する。
 古武之森城は東西15m、南北100mの規模であり、山頂部の曲輪は中央部に巨岩があり、またシダに覆われ形状が確認できない。
 北西尾根側には堀切や斜面に連続して竪堀が落とされ、山頂部曲輪切岸には石垣も残されている。
 また南西尾根側斜面には竪堀が2条落とされ、尾根を下ると造成が甘いが曲輪が2箇所あり、そこには投石用の河原石が散乱しているため、ここまでが城であったと思われる。
 古武之森城からは安宅氏の勝山城を見下ろす位置にあり、勝山城に向けた尾根には連続して堀切が掘られていることから、安宅氏と周参見氏との間に軍事的緊張があったことが推測される。
 古武之森城は全体的に曲輪造成が甘く長期間の居住には適していないことから、臨時的な陣城として築かれたのであろう。
 

写 真

                                 
北側堀切 東側畝状竪堀
東側畝状竪堀 東側曲輪
東側堀切 切岸石垣
主曲輪 主曲輪
南側二ノ曲輪 南側竪堀
南側二ノ曲輪土塁 川原石


経 路

                   

地 図




紀南地方の城跡