島之瀬城(しまのせじょう)

所 在 地  日高郡みなべ町島之瀬
標   高  130m
比   高  30m
築 城 者  龍神家綱
築 城 年  不明
  式  山城
遺   構  曲輪 堀切   
登城時間  10分
 

歴 史

 南部川上流域を治めていた龍神秀政は、大和高取城の戦いで亀山城主湯河氏の謀略により討死し、居城鳶之巣城(みなべ町)も落城したため龍神氏一族は離散したが、嫡子家綱は浪人を経て島之瀬に戻り、城を築いたと龍神氏家系図に記されている。  
 なお島之瀬城の麓には龍神氏末裔の方が今も居住されており、そこが当時の居館であったという。

 

現 状

 島之瀬城は南部川中流、東神川との合流点にあり、廃校となった旧島之瀬小学校裏山は「城山」と呼ばれている。 
 登城ルートは城跡より東側にある祠とお地蔵さんが祀られている脇道を登ると堀切が1条掘られ、そこから急斜面を登り切ると東西45m、南北18mの楕円形をした主曲輪に達する。  
 主曲輪中央の南側には虎口が開いており、そこから西側斜面にある堀切まで山道が繋がっている。
 島之瀬城は小規模な城であるが、堀切が形をよく残している。

写 真

                                 
登城口 東側堀切
主曲輪 虎口
主曲輪切岸 西側堀切
西側堀切から竪堀へ 主曲輪より西側堀切につながる山道


経 路

                                     

地 図





紀中地方の城跡