山崎城(やまさきじょう)

所 在 地  日高郡日高川町和佐
標   高  43m
比   高  28m
築 城 者  川上氏
築 城 年  鎌倉時代
  式  丘城
遺   構  なし  
登城時間  5分
 

歴 史

 山崎城は南北朝時、日高川筋50数村を領有していた川上兵衛則秋の居城で、日高川下流西岸に位置する土生城主逸見清重や八幡山城主吉田金毘羅丸と婚姻関係を結び、共に南朝方として戦った。
 しかし北朝方である玉置氏が日高川上流より和佐に進攻し、川上氏はこの地を奪われることとなる。
 また「紀伊続風土記」には、則秋が川狩りを終えた帰路に玉置氏に槍で殺されたとある。
 こうして川上氏が滅び和佐は玉置氏の所領となり、以後10代手取城(日高川町)を居城として栄えた。
 

現 状

 山崎城はJR和佐駅東側の小高い丘で通称「城ケ段」に築かれている。
 現在城跡はミカン畑や住宅地となっており、頂上の平坦地に川上則秋の供養と説明看板があるのみで遺構は残されていない。 

写 真

                                 
案内看板
供養塔
   
                                

地 図






紀中地方の城跡