八幡山城(はちまんやまじょう)

所 在 地  御坊市藤田町吉田
標   高  77m
比   高  69m
築 城 者  吉田金毘羅丸(源頼秀)
築 城 年  興国3年(1342年)
  式  山城
遺   構  曲輪 堀切 土塁 
登城時間  15分

 

歴 史

 八幡山城は矢田荘吉田村の領主であった吉田金比羅丸の居城である。
 吉田氏は土生城主逸見氏や、日高川筋で50ヶ村を領していた山崎城主川上則秋と姻戚関係を結んで、共に南朝方として戦ったが、北朝方であった牟婁郡芳養荘を本拠とする湯河氏が日高平野に進攻してきたため、吉田氏らは没落したと思われる。

 

現 状

 安珍清姫で有名である道成寺西方にある八幡社の裏山「城ヶ峰」が八幡山城跡である。
 吉田八幡社からなだらかな山道を登ると東西30m、南北を20mほどの主曲輪があり、その周囲を帯曲輪が取り付いている。
 また西側には尾根を遮断する堀切と、東側帯曲輪には低いが土塁が残されている。
 なお城跡東側にある湯河氏の亀山城(御坊市)と八幡山城は築城年代が異なるため関連性はないと思われる。

写 真

                                 
登城口 吉田八幡社
主曲輪 腰曲輪
主曲輪北側石垣(畑跡?) 腰曲輪土塁

経 路

                                    

地 図





紀中地方の城跡