田尻城(たじりじょう)

所 在 地  日高郡日高川町田尻
標   高  751m
比   高  672m
築 城 者  玉置大宣
築 城 年  室町時代
  式  山城
遺   構  土塁 石垣 堀切    
登城時間  3時間
 

歴 史

 南北朝時代に北朝方として戦功を上げた玉置直虎は、山地荘(現田辺市龍神村)与えられ鶴ヶ城(田辺市)を居城とした。
 その後玉置氏一族である玉置大宣が日高地方への進出する拠点として築かれたのが田尻城である。
 大宣は田尻城を家臣に守らせ、更に日高川を下って山野城(日高川町)を拠点とし、川上荘50村を領していた川上則秋を滅ぼし、和佐別所谷に手取城(日高川町)を築き居城とした。
 田尻城は高所に築かれた要害堅固な城であることから、手取城が落城した場合に籠って戦う詰めの城であったと思われる。
 また田尻城より西に約3.5km離れた日高川町三佐には玉置氏家老である原氏の土居があり、原氏が田尻城の城代を勤めていたと思われる。
 

 

現 状

 田尻城は関西百名山である矢筈岳(標高811m)より西へ約500mばかり下った標高751mの山頂に築かれた山城で、和歌山県内にある石垣が現存する城で最高所に築かれている。
 城跡までは小谷峠から山道が整備されているが、険しい山道である。
 田尻城は単曲輪の城で、主曲輪が東西45m、南北20mの規模であり、腰曲輪が南側に2段、東側にかけて1段あり、東側腰曲輪には虎口が開いている。
 南側腰曲輪切岸から主曲輪東側かけて石垣が積まれ、石垣を多用しているのがこの城の特徴である。
 また田尻城には3方に尾根が繋がり、各尾根にはそれぞれ堀切が掘られているが、特に矢筈岳方面の堀切は大きく、幅8m近くあり、両側に土塁を積んでより深くなっている。
 鷲の川側の尾根には堀切が2条、小谷峠側尾根も主曲輪から少し離れているが堀切が2条と付曲輪がある。
 なお矢筈岳は夏には石楠花が咲き乱れ、山頂からは御坊から印南方面まで見渡せる眺望は素晴らしく、田尻城を訪れた際には是非立ち寄っていただきたい。
 

写 真

                                 
林道入口 小谷峠
登り口 看板
小谷峠側堀切と土橋 小谷峠側尾根斜面
小谷峠側付曲輪 主曲輪
主曲輪案内看板 主曲輪切岸と西側腰曲輪 
主曲輪南側腰曲輪 主曲輪西側腰曲輪
 主曲輪南側切岸石垣  主曲輪東側石垣
主曲輪石垣切岸 鷲の川側堀切
東側腰曲輪 天守台虎口
天守台 南側付曲輪
日高平野方面遠景 日高川上流方面遠景
原氏土居跡 原氏土居跡
土居垣内 原氏墓所

経 路


   
                                

地 図






紀中地方の城跡