菅原城(すがわらじょう)
所 在 地 日高郡日高川町土生 標 高 25m 比 高 15m 築 城 者 菅原氏 築 城 年 不明 形 式 丘城 遺 構 曲輪 登城時間 10分
歴 史菅原城は、山崎城主川上則秋の娘を妻に持つ逸見万寿丸清重の土生城(日高川町)と、清重の娘婿である吉田頼貞の八幡山城(御坊市)の中間に築かれている。なお三城は至近距離にあり、また一直線に並んでいることからも菅原氏は川上氏に与していたか、または一族であったものと思われる。 |
現 状大成中学校グランド南側にある通称「城山」に城跡はある。菅原城は畑に開墾されたのち放置され、現在は藪となり全体の形が確認が困難である。 主曲輪は東西20m、南北40mの規模で、その周辺を二段の腰曲輪が配置されて、主曲輪と腰曲輪との切岸は約3mほどの高さがある。 北側には大成中学校造成時に埋められ消滅したが、幅15mほどの大堀切により遮断されていたという。 |
写 真 |
菅原城遠景 | 主曲輪 |
主曲輪 | 西側腰曲輪 |
主曲輪切岸 | 主曲輪切岸 |
北側堀切跡 | 土生城方面遠景 |
経 路
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