鳥屋城(とやじょう)

所 在 地  有田郡有田川町中井原
標   高  305m
比   高  210m
築 城 者  湯浅 宗基
築 城 年  永和5年(1379年)
  式  山城
遺   構  土塁 堀切 石垣 竪堀   
登城時間  1時間
 

歴 史

 鳥屋城は「花営三代記」によると、永和5年(1379年)紀伊国守護山名義理が南朝方である湯浅宗基(宗基は石垣氏を名乗ったため石垣城と呼ばれる)の石垣城を攻め落としたと記されており、南北朝時代は南朝方の拠点であったと思われる。
 その後山名氏から大内氏が守護となったが、応永6年(1399年)応永の乱で大内氏が失脚、代わって畠山基国が入国し広城(広川町)を本城とし、岩室城(有田市)、鳥屋城を支城として在田地方の統治を行なった。
 しかし天正13年(1585年)羽柴秀吉の紀州征伐時には、城代を勤めた畠山氏家臣神保氏が内応し鳥屋城を開城したと伝わる。
 

現 状

 鳥屋城は標高305mの城山にあり、城跡までは鳥屋城公園より遊歩道が整備されている。
 城跡からは有田川流域を見渡すことができ、この地域を治める上で重要な拠点であったことが分かる。
 城跡は西側山頂部分にある主曲輪、二ノ曲輪、三ノ曲輪を中心に、東西にのびる細長い尾根を階段状に築かれた小さな曲輪により構成されている。
 主曲輪より東側に堀切があり、西と東に城域を区分しているが、このような築城手法は畠山氏の城跡で見られる縄張りであり、身分が異なる複数の勢力が独立して駐留していた云われている。
 主曲輪近くにある小祠より南側斜面に石垣が垂直に積まれて、また主曲輪より西方に下った曲輪にも石垣や土塁が残されている。
 鳥屋城は200年以上にわたり山城としての存続が確かな史料により証明されており、昭和34年に和歌山県指定文化財(史跡)に指定されている。 

写 真

                                 
鳥屋城公園 案内看板
主曲輪 主曲輪
 
主曲輪にある巨岩 主曲輪より有田市街地方面遠景
祠南側斜面石垣
堀切 主曲輪西側下方にある石垣


経 路

                                                        
 

地 図




紀中地方の城跡