高地山城(たかじやまじょう)

所 在 地  田辺市中三栖
標   高  226m
比   高  190m
築 城 者  山本氏
築 城 年  不明
  式  山城
遺   構  曲輪 土塁 段構え 横堀   
登城時間  15分
 

歴 史

 高地山城は富田川流域を支配する山本氏の城であり、田辺方面の外郭守備や侵入する敵の動向監視及び情報伝達を目的に築かれたと思われる。
 築城年代は不明であるが、天正13年(1585年)羽柴秀吉南征軍の動向をこの城より監視し、山本氏の本拠地龍松山城(上富田町)に伝えていたのであろう。


現 状

 高地山城は田辺市と上富田町の境界に位置する標高226mの高地山にあり、左会津川を挟んで衣笠城と向かい合う位置にある。
 城跡までは田辺市上三栖細井地区から農道を車で直下まで登ることができ、そこから梅畑沿いに登ると到達する。
 高地山城は主曲輪が東西14m、南北15mほどで、曲輪の一部に低い土塁と虎口が確認でき、主曲輪から北側尾根に向けて低い段構えが6段連続してあり、また段構え東側には帯曲輪と一部武者隠し状の窪地となった横堀がある。
 さらに主曲輪南西方面に50mほど下ったところに土塁を伴う曲輪と溜池跡があり、この城が定住可能な城であったと思われる。
   

写 真

                                 
主曲輪 土塁
土塁 東側横堀
東側横堀 段構え
北側方面遠景 登城口


経 路

                                                   

   

                                     

地 図





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