堅田要害山城(かたたようがいさんじょう)

所 在 地  西牟婁郡白浜町堅田
標   高  55m
比   高  50m
築 城 者  堅田善行(山本氏家臣)
築 城 年  不明
  式  山城
遺   構  曲輪 土塁 堀切 竪堀  
登城時間  15分
 

歴 史

 堅田要害山城は近江国堅田よりこの地に移り住み山本主膳頭の被官となった堅田式部大夫善行の城である。
 近くに堅田氏が勧請した堅田八幡神社があり、秋祭りは和歌山県無形文化財に指定されている。
 この城は山本氏にとって安宅氏との境目に位置し、蛇喰城(上富田町)、鴻巣城(白浜町)と共に、両者で激しい城取り合戦が繰り広げられ、一時期安宅氏の家臣北金右衛門の甥福田良左衛門の居城となったという。
 また城跡から南東麓に善行との地名が今も残されており、ここに平時に生活を営む屋敷を構えていたと云う。

現 状

 JR白浜駅東側裏山が城跡であり、四方25mほどの単曲輪であるが、周辺を囲む土塁が見事に残存し、特に東側は3mほどの高さがあり、物見台を兼ねている。
 南側斜面には竪堀が5条落とされ、北東側と南側にはそれぞれ虎口が開き、西、北東それぞれの付曲輪に通じる。
 また東側堀切を越えると平坦な部分があるが、ここが馬場跡との伝承がある。
 堅田要害山城は規模は小さいが、遺構の保存状態が非常に良い城跡である。

写 真

                                 
登城口 登城口
主曲輪 主曲輪土塁
主曲輪土塁 西側虎口
主曲輪神祠跡 北西側武者隠しと土塁
東側掘切 東側馬場
西側墓石 西側犬走
主曲輪北側切岸 南側付曲輪
南側竪堀 南側竪堀

経 路

                   

                                          

地 図



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