蛇喰城(じゃばみじょう)
所 在 地 西牟婁郡上富田町生馬 標 高 371m 比 高 260m 築 城 者 平勝盛 築 城 年 永仁6年(1296年) 形 式 山城 遺 構 曲輪 土塁 竪堀 石垣 登城時間 1時間30分
歴 史蛇喰城の歴史は古く、文治元年(1185年)源平合戦に敗れた平清盛の甥である国盛が生馬谷に逃れこの地に定住し、その後国盛の孫にあたる勝盛が永仁4年(1296年)城ヶ森山に城を築いたのが始まりである。室町時代になると蛇喰城は山本氏と安宅氏・小山氏との境目に位置し、城の東西には山本氏が支配していた富田川流域と安宅・小山氏が支配していた日置川流域に通じる山道が通る戦略上重要な要衝であり両者による城取り合戦を展開している。 永正10年(1513年)山本氏家老である山本権頭が城代として守備していたが、安宅・小山連合軍が攻め込み権頭が討死、蛇喰城は安宅氏の支配下となり、永正14年(1517年)には安宅氏が生馬村山王社三ノ宮を修造し行なっていることより、支配権が山本氏から安宅氏に代わったことがわかる。 しかし天文3年(1534年)今度は安宅氏の家督争いの混乱に乗じて山本氏が蛇喰城を奪い返し、以降は山本氏がこの城を治めていたと思われる。 |
現 状県道36号線生馬公民館前を右折し、山道が行き止まりになるところに車を止め、そこから右手杉林斜面より登ると城跡西側の尾根道に出る。そこから東に進むと斜面が伐採された城跡がある城ノ森山に到達した。 城跡は東西約60m、南北30mの単曲輪で、北側は獣害防止ネットが張られ確認することが出来なかったが石積された土塁があるようだ。 北東側には低い土塁と北側斜面には崩壊した石垣が散乱し、南側斜面には石垣の一部と竪堀が1条確認できる。 また今回確認できなかったが城跡北側斜面には大規模な堀切がある。 蛇喰城は鎌倉時代から長きにわたり重要な拠点として使用された城であるが、風雨と植林によりその原型が失われつつあるのが残念である。 |
写 真 |
主曲輪 | 主曲輪土塁 |
竪堀 | 切岸石垣 |
北側の崩れた石垣 | 北側横堀 |
城跡西側尾根道 | 遠景 |
経 路 |