広保山城(ひろぼやまじょう)

所 在 地  有田郡湯浅町吉川
標   高  107m
比   高  100m
築 城 者  湯浅宗重
築 城 年  平安末期〜鎌倉初期
  式  山城
遺   構  曲輪 堀切     
登城時間  30分
 

歴 史

 広保山城は在田郡湯浅荘を本拠とした湯浅氏の事実上の始祖である湯浅宗重が康治2年(1143年)湯浅城(湯浅町)に移るまで居城としていた城である。
 湯浅氏は周辺豪族と姻戚関係を結び一門に取り込み湯浅党と呼ばれる武士団を形成し、その範囲は紀中から紀北に及び、南北朝時代に没落するまで強大な勢力を誇ったという。
 

現 状

 広保山城は国道42号線を南下し湯浅町に入り、右手に見える大きく削られた山肌の山にある。
 城跡は主曲輪から東側尾根(国道42号線側)に沿って階段状に曲輪が配置され、かなり埋まっているが堀切が1条残されている。
 現状は断崖絶壁である東側尾根末端部も当時は侵入可能な地形であったため曲輪を階段状に配置する必要があったのであろう。
 また主曲輪から西側に鉄塔が建設されているが、ここも城跡の一部であった可能性がある。
 広保山城は平安時代末期から存在していたと考えられ、県内でも最古の城跡ではないかと思われる。

写 真

                                 
主曲輪 主曲輪三角点
溜池跡? 主曲輪東側切岸
東側曲輪 堀切
主曲輪西側鉄塔 湯浅港側遠景

地 図




紀中地方の城跡