打越城(うちこしじょう)

所 在 地  田辺市下川下
標   高  224m
比   高  43m
築 城 者  不明
築 城 年  不明
  式  山城
遺   構  曲輪 堀切    
登城時間  15分
 

歴 史

  打越城は築城者及び築城年代は不明であるが、尾根を通る山道を監視する位置にあることから、関所的な目的で築かれたと思われる。
 西側麓には「城の腰」との字名があることから、ここが平時の居住地であった可能性がある。
 またこの地から北東に羽柴秀吉に謀殺された亀山城主湯河直春の四子忠蔵が仏門に入り、「打越入道」と名乗って隠棲した屋敷跡があるが、打越城との関係は不明である。
  

 

現 状

  打越城は田辺市街から約27km西側に位置し、下川下の春日神社の北東、江口橋を渡った前方の丘陵部にあり、日置川と支流の安川に挟まれ天然の堀をなしている。
 城跡は山頂尾根の東西二か所の曲輪が配置され、その間を遮断するために2条の堀切より区画されている。
 尾根上西側にあるのが主曲輪で、東西40m、南北12mの規模で、東側には堀切を挟んで二ノ曲輪が東西23m、南北10mで配置されている。
 また二ノ曲輪北側には馬場との伝承がある平坦地もある。
 打越城は城主不詳であるが、街道を押さえる在地領主の城であったと思われる。
 

写 真

                                 
主曲輪 主曲輪切岸
主曲輪と二ノ曲輪間の堀切 二ノ曲輪東側堀切
馬場跡 地蔵
山道 富里小学校方面


経 路


                    
                                                                    

                                     

地 図





紀南地方の城跡