水鳥山城(みずとりやまじょう)

所 在 地  田辺市稲成町谷中
標   高  128m
比   高  93m
築 城 者  山本氏
築 城 年  不明
  式  山城
遺   構  段構え   
登城時間  20分
 

歴 史

 水鳥山城は龍松山城主山本氏の城であり、湯河氏が治める芳養荘との境目に位置する。
 現在の芳養町田川地区より稲成町谷中地区に通じる街道を見下ろす位置にあり、段構えが芳養荘向けに築かれていることから、山本氏が湯河氏側の領域である芳養荘からの敵を監視する見張所及び関所としての役割を担っていたと思われる。

 

現 状

 城跡から出土した弥生式土器に水鳥の絵が描かれていたことから水鳥山城と名付けられた。
 現在本堂のある場所が屋敷跡との伝承があり、本堂の裏山部分が見張所を兼ねた城跡となっている。
 城跡の規模は田辺市誌によると、東西29m、南北4mと小規模で、田川地区に向けて段構えは確認できなかった。
 また観音寺は天正13年(1585年)羽柴秀吉の南征の際に、高山寺本尊をここ岩屋観音に避難させ無事であったことから厄除けの観音として信仰されている。
  

写 真

                                 
参詣道入口 屋敷跡の伝承がある本堂
本堂 新西国三十三霊場入口
山頂岩場 案内看板
芳養方面 稲成方面


                                          

地 図




紀南地方の城跡