日向山城(ひなたやまじょう)

所 在 地  田辺市上芳養東郷
標   高  165m
比   高  105m
築 城 者  湯河氏
築 城 年  不明
  式  山城
遺   構  曲輪 土塁 堀切 竪堀    
登城時間  15分
 

歴 史

 日向山城は芳養川最上流部に位置し、野辺氏の平須賀城(みなべ町)と目良氏の中峰城(田辺市)を結ぶ街道を見下ろす位置にあり、城跡からは遠く芳養湯河氏の居城である泊城(田辺市)付近を見渡すことができる。
 城主は不詳であるが芳養川流域にある湯河氏の城では最大規模の城であり、戦略的重要拠点にあることから湯河氏一族及び有力家臣の城であったと云われている。
 天正13年(1585年)羽柴秀吉南征軍の部将である仙石権兵衛に攻められ落城したという。
 

現 状

  築城年は不明であるが戦国時代末期の技法である横堀や畝状竪堀群が用いられていることから秀吉軍の南征時に大規模な改修が行われたと思われる。
 城跡までは上芳養中学校付近より農道を登り切り、北側尾根を進むと2条の堀切があり、堀切を越え切岸を登ると腰曲輪があり、その上方が主曲輪である。
 主曲輪は南北30m、東西20mほどで、西側に低い土塁があり、主曲輪を取り巻くように3方に腰曲輪が配置され、また南側腰曲輪より斜面を下ると横堀と畝状竪堀群が確認できる。
 主曲輪東側に二ノ曲輪があり、主曲輪へ至る虎口は侵入した敵を両側から挟み込むような構造となっている。
 日向山城は田辺市内では最大級の規模を誇る山城であるが、現在は藪に覆われ遺構が確認困難な状況である。
 
なお掲載してる写真は平成10年頃に大規模に伐採された当時の写真であり、現状とは異なる。

写 真

                                 
主曲輪 主曲輪
腰曲輪 西側腰曲輪
堀切 南東側堀切
石(屋根に使用?) 南側遠景(泊城方面)

                                         

地 図





紀南地方の城跡