市谷山城(いちたにやまじょう)

所 在 地  日高郡みなべ町西岩代
標   高  102m
比   高  −
築 城 者  岩代氏
築 城 年  室町時代
  式  山城
遺   構  なし    
登城時間  −
 

歴 史

 亀山城主湯河氏に仕え、岩代荘の地頭してこの地を治めていた岩代氏の居城である。
 築城者は岩代兵庫守信春とも3代後裔である春正とも云われる。
 天正13年(1585年)羽柴秀吉南征軍の部将仙石秀久に亀山城を追われた湯河直春をこの市谷山城に迎え、南側に竪堀や堀切、横堀を備えた山城に改修したが大軍を支えきれず直春らは牟婁方面に退去していった。
 なお岩代氏の平時の居館は、市谷山城より南方約1.8kmにある西岩代八幡宮社向かいの台地にある土井城である。

 

現 状

 現在岩代梅林に開墾された場所に市谷山城は築かれていたが、昭和52年の南部町農地開発事業に伴う発掘調査で、2段の曲輪や竪堀11条、堀切6条、出土遺物として、陶器、包丁、砥石、瓦片、中国銭(開通元宝・永楽通宝など)などが発掘されたが、城があった山が完全に消失してしまい現在は石碑のみ残されている。
 

写 真

                                 
石碑と案内看板 城跡周辺
案内看板 岩代梅林
                     

地 図




紀中地方の城跡