釣瓶山城(つるべやまじょう)
所 在 地 西牟婁郡上富田町田熊 標 高 50m 比 高 25m 築 城 者 山本兵部 築 城 年 不明 形 式 丘城 遺 構 曲輪 土塁 登城時間 15分
歴 史龍松山城山本主膳正康忠の家老山本兵部の居城である。兵部は天正13年(1585年)羽柴秀吉による南征時に、この城から対岸にある国陣山城(上富田町)に移り秀吉軍と激しく戦ったという。 城名の由来は、城の麓にあった池の水を釣瓶を下ろして汲み取ったことから名付けられたようである。 |
現 状城跡は富田川と支流である田熊川が交わる西側に標高50mの独立した小高い山にある。城跡までは北側麓にある住人の方に了解いただき登ることができた。 主曲輪は丘陵南側端にあり、南北20m、東西12m程であるが草が覆い茂り、形状を確認できない。 また主曲輪南側から西側にかけて土塁が形をよく残している。 主曲輪北側には南北30m、東西10m程の二ノ曲輪と、西側には現在梅畑に開墾されているが、この城跡で一番広い三ノ曲輪が東西35m、南北25m程あり、城主の屋敷跡であったという。 |
写 真 |
主曲輪 | 主曲輪土塁 |
二ノ曲輪 | 三ノ曲輪(屋敷跡) |