塗屋城(ぬりやじょう)

所 在 地  西牟婁郡上富田町朝来
標  高  50m
比  高  34m
築 城 者  山本氏
築 城 年  不明
形  式  丘城
遺  構  曲輪 土塁 堀切 竪堀 
登城時間  20分
 

歴 史

 詳細については不明であるが龍松山城主山本氏の支城である。
 天正13年(1585年)羽柴秀吉の南征軍部将杉若越後守が海岸部より上陸し、塗屋城から北側250m離れた小高い丘に塗屋城を築いたが、ここには元々山本氏の城があり、そこを南征軍が拠点として利用したと思われる羽柴秀吉による南征軍は、現在の田辺市新庄町付近から海路より上陸し、現在の三菱電機保養所付近大内谷に陣を敷き、その後約800m離れた小高い丘に山本氏攻略のため陣城を築いたという。

現 状

 JR紀勢線朝来駅の南西約200mにある標高50mの丘陵に城跡はある。
 城までのルートは東側麓のお堂から墓地を通り過ぎ、右手の藪に行く手を阻まれながら斜面を登ると主曲輪に達した 。 
 近畿自動車道紀勢道路の延伸により2009年に城跡西側のみ発掘調査が行われ、現在は高速道路となった尾根部分に箱状堀切(幅約5m、深さ約2.5m)の一部が残されている。
 主曲輪は東西30m、南北15mの規模で、西側には低いが土塁がある。
 また主曲輪東側に2段の小曲輪があり、そこから20m下ったところに竪堀と思われる部分がある。
 高速道路建設により堀切の一部が消滅したが、主要部は破壊されることなく保存されている。
   

写 真

                                 
登城口 主曲輪
西側堀切と主曲輪土塁(工事前) 西側堀切(工事後)
 
東側曲輪 東側竪堀
西側遠景(工事前尾根部分) 南側遠景
                      
                                  

地 図




紀南地方の城跡