野田城(のだじょう)

所 在 地  西牟婁郡上富田町岩崎
標   高  42m
比   高  26m
築 城 者  野田治部大夫
築 城 年  応永年間(1394年〜1428年)
形   式  丘城
遺   構  なし  
登城時間  5分
 

歴 史

 鴻巣城主内河氏の分家である野田氏の祖先は藤原鎌足とされ、新宮熊野別当湛誉氏實が南北朝時代に南朝に味方し、その子孫である民部大夫師安が築いた城である。
 天正13年(1585年)師安の孫にあたる左太殿のとき、秀吉軍の部将仙石権兵衛等に攻められ野田城は落城したという。
 

現 状

 国道42号線郵便橋北詰でJRきのくに線が白浜駅に向かうカーブ内側の小山が城跡がある。
 城跡へは県道から踏切を渡り細い農道を進むと共同墓地があり、そこから5分ほど登ったところにある。
 現在城跡は一面が梅畑に開墾されて一部土塁と思われる部分があるが当時のものか不明である。 

写 真

                                 
梅畑 土塁の一部か?


経 路

 

                                     

地 図





紀南地方の城跡