八千貫城(はっせんがんじょう)

所 在 地  日高郡印南町島田
標   高  37m
比   高  30m
築 城 者  津村信秀
築 城 年  不明
  式  丘城
遺   構  なし  
登城時間  −

 

歴 史

 津村氏は室町時代に近江国日野荘を治めていたが、津村信秀の代になって日野荘を追われ、紀州に退去したところを亀山城主湯河氏の目に留まり、和田、上野、切目を与えられ、西之地に八千貫城を築いたという。
 信秀は湯河氏の重臣となり、湯河四天王の一人に数えられるまでになったが、天正十三年(1585年)羽柴秀吉の南征軍に対して当主湯河直春と共に戦い、和睦協議のため羽柴秀長の居城大和郡山城を謁見したが、直春と共に謀殺されたとも、熊野に敗走し没したともいわれるが詳細は不明である。
 

現 状

  印南小学校の北側、JRきのくに線を見下ろす台地に城跡はある。
 現在城跡は畑に開墾されて地形が改変され遺構も確認できないが、北側に腰曲輪と思われる細長い平坦地がある。
 文化五年(1808年)の記録によれば、城跡は東西86m、南北36m程の規模であったという。
 

写 真

                                 
主曲輪 主曲輪
腰曲輪と思われる平坦地 腰曲輪と思われる平坦地

                                                  

地 図





紀中地方の城跡