天路山城(てんじやまじょう)

所 在 地  日高郡日高町比井
標   高  67m
比   高  63m
築 城 者  湯河 直春
築 城 年  天正13年(1585年)
  式  山城
遺   構  曲輪 土塁 堀切 段構え 石垣 
登城時間  30分

 

歴 史

 日高町比井は紀伊水道に面するリアス式海岸にあり日高町南西端に位置する。
 天路山城は比井港や津久野港を見下ろす小高い山にあり、亀山城主湯河直春が築城し、弟とも従弟とも云われる嶋弘春が在城したという。
 なお麓には弘春の子孫である内ノ川氏の土居跡があり、一石五輪の墓石が侘しく残されている。 
 

現 状

 天路山城は津波避難道整備工事のため一部破壊されてしまったが、主曲輪等の主要部分は破壊を免れている。
 城跡は尾根上に曲輪が3段連なり、南西端が主曲輪で、土塁と石垣の一部が残されている。
 主曲輪より北東に二ノ曲輪、三ノ曲輪があり、それぞれ堀切で遮断され、三ノ曲輪には櫓台のような一段高い切残された土盛り部分がある。
 主曲輪北西側には腰曲輪と段構えがあり、腰曲輪切岸に野面積の石垣があるが、これは後世のものと思われる。
 また主曲輪南側尾根を下ると堀切が1条掘られ、そこから西側谷に向けて連続した段構えが伐採されて形がよく確認できる。 
 天路山城は湯河氏居城亀山城に次ぐ規模を誇る山城であり、天正13年(1585年)の秀吉軍の南征時に大規模な改修がなされたと思われるが、湯河氏にとってこの地は海路より日高平野に通じる比井港や津久野港を押さえる需要な拠点であったと思われる。
 

写 真

                                 
登城口 雨司神社
土居跡 土居跡にあ一石五輪の塔
土居から城跡への山道 破壊された城跡
主曲輪 主曲輪土塁
主曲輪土塁 石積で土補強した土塁
主曲輪切岸 主曲輪虎口
二ノ曲輪 二ノ曲輪と三ノ曲輪を遮断する堀切
三ノ曲輪櫓台 北側切岸
北側腰曲輪 北側腰曲輪
北側腰曲輪石垣(畑跡か) 北側腰曲輪石垣(畑跡か)
西側尾根堀切 西側曲輪
南側谷の連続段構え 南側谷の連続段構え
比井小学校方面 比井漁港方面

経 路


              

                                

地 図






紀中地方の城跡