入山城城山(にゅうしゃまじょうしろやま)

所 在 地  日高郡美浜町和田
標   高  76m
比   高  73m
築 城 者  青木勘兵衛一矩
築 城 年  天正13年(1585年)
  式  丘城
遺   構  曲輪 堀切 土塁 竪土塁    
登城時間  15分

 

歴 史

 入山は日高川支流の西川が西側麓を流れる南北に細長い標高76mの小高い山で、入山城は中央最高所の通称「城山」と、南端にある通称「本丸」の2か所からなる。
 築城者は諸説があり、大永2年(1522年)阿波より日高地方に進攻した三好義長説と、羽柴秀長の家臣で後に越前国北ノ庄城主となった青木勘兵衛一矩説がある。
 なお入山城は湯河氏の居城亀山城(御坊市)より西に約900mにあり、敵同士がこのような至近距離に城郭を構えることを疑問視する意見もあるが、かつては湯河氏の砦が入山に築かれ、羽柴秀吉の南征軍が陣城としてこれを利用し、落城後も残党を見張っていたという。
 入山城本丸は館形式の城郭であり、詰城である城山とは馬場で繋がっていたという。
 

現 状

 日高平野の中に独立した丘陵に築かれた入山城までは東側麓より遊歩道が整備されて、途中湯河氏の菩提寺である三宝寺があり、墓所には河内教興寺合戦で討死した湯河氏第11代当主湯河直光の墓石があり、更に北に登ると城山に達する。
 最高所にある主曲輪は東西20m、南北15mほどの規模で、4方を土塁が囲み南側土塁は高く2m〜3mほどある。
 主曲輪西側から北側下方に二ノ曲輪があり、南側には土塁が北側切岸には竪土塁がある。
 主曲輪南側が三ノ曲輪であり、南側切岸には石垣の一部が残されている。
 本丸方面となる南側尾根を連続して3条掘られ堀切で遮断し、、主曲輪西側下方に直線の平坦地は馬場跡といわれる。
 入山城は和歌山県内で唯一の中世梯郭式丘陵城郭であり、また一つの丘陵で異なった二つの城郭が存在する貴重な城跡である。
 
 

写 真

                                 
登城口 遊歩道
湯河直光菩提寺の三宝寺 墓石案内看板
馬場跡 主曲輪
主曲輪 主曲輪土塁
主曲輪土塁 主曲輪切岸
二ノ曲輪 二ノ曲輪土塁
二ノ曲輪土塁内側石積 主曲輪東側帯曲輪
三ノ曲輪 三ノ曲輪土塁
三ノ曲輪切岸石垣 四ノ曲輪
南側尾根堀切 南側尾根堀切
南側尾根土橋 西側尾根武者隠し
西側尾根武者隠し 西側遠景

経 路


                 

                                

地 図






紀中地方の城跡