入山城本丸(にゅうやまじょうほんまる)

所 在 地  日高郡美浜町和田
標   高  34m
比   高  27m
築 城 者  青木勘兵衛一
築 城 年  天正13年(1585年)
  式  丘城
遺   構  曲輪 土塁 石垣     
登城時間  15分

 

歴 史

 入山は日高川支流の西川が西側麓を流れる南北に細長い標高76mの小高い山で、入山城は中央最高所の通称「城山」と、南端にある通称「本丸」の2か所からなる。
 築城者は諸説があり、大永2年(1522年)阿波より日高地方に進攻した三好義長説と、羽柴秀長の家臣で後に越前国北ノ庄城主となった青木勘兵衛一矩説がある。
 入山城は湯河氏の居城亀山城(御坊市)より西に約900mにあり、敵同士がこのような至近距離に城郭を構えることを疑問視する意見もあるが、かつては湯河氏の砦が入山に築かれ、羽柴秀吉の南征軍が陣城としてこれを利用し、落城後も残党を見張っていたという。
 入山城本丸は館形式の城郭であり、詰城である城山とは馬場で繋がっていたという。
 

現 状

 入山城本丸は入山の南端に位置し、城跡までは東側歩道から民家横の山道から登ることが出来る。
 遺構は主曲輪が東西50m、南北20mの規模で、南東端に斜め虎口が開き、北側から西側にかけて土塁と北側切岸には石垣が積まれている。
 主曲輪北側から西側を取り巻くのが二ノ曲輪で、主曲輪南側に三ノ曲輪を配置している。
 なお現在城跡は竹や雑草に覆われ、全体の形状が確認しにくくなっている。

写 真

                                 
登城口 登城口
主曲輪 主曲輪土塁
主曲輪土塁と虎口   主曲輪切岸と虎口
主曲輪切岸 主曲輪切岸石垣
主曲輪切岸石垣 二ノ曲輪
二ノ曲輪 三ノ曲輪

経 路


                

                                

地 図






紀中地方の城跡