若田城(わかたじょう)

所 在 地  有田郡有田川町修理川
標   高  243m
比   高  142m
築 城 者  畠山氏
築 城 年  不明
  式  山城
遺   構  曲輪 堀切 土塁 畝状竪堀群    
登城時間  30分
 

歴 史

 「寒川村史」によると永禄5年(1562年)寒川直政が石垣荘鳥屋城(有田川町)攻略の途次に、有田郡修理川大戸台にて、さきに降伏した小野城主畑山(畠山)為朝のために鉄砲で狙撃され、家臣ら3名が討死したとの記述が残されており、この小野城は若田城を指していると思われる。
 若田城は位置的に畠山氏の所領内にあり、美山方面からの敵に備え築かれたと思われる。
 

現 状

 若田城は有田川支流の修理川沿いに国道424号線を美山方面に進むと、有田鉄道バス美山線「経谷口」バス停から修理川を横断し、関西電力により整備された保守用山道を登ると城跡に到達する。
 城跡は標高243mの山頂に南北50m、東西15mの主曲輪があり、櫓台のような土盛り部分と西側には低い土塁が残る。
 主曲輪の東、南、西側三方に腰曲輪が配置されて、北側尾根には堀切と尾根の横移動を妨げるための竪堀が4条落とされている。
 また西側尾根に向けて堀切と畝状竪堀群があり、竪堀が合流して一部横堀状になっている。
 若田城は各尾根に向けた防御を堀切と竪堀を組み合わせることで、防御性を高める工夫はなされた城である。
                                 

写 真

                                 
経谷口バス停 登り口
関西電力保守用山道 主曲輪
主曲輪櫓台 主曲輪土塁
北尾根竪堀 北尾根竪堀
北尾根堀切 西側腰曲輪
西側尾根畝状竪堀群 西側尾根畝状竪堀群


経 路

   
 
                           

地 図




紀中地方の城跡