来見屋城(くるみやじょう)

所 在 地  有田郡有田川町小川
標   高  387m
比   高  330m
築 城 者  不明
築 城 年  不明
  式  山城
遺   構  曲輪 堀切 土塁 虎口   
登城時間  35分
 

歴 史

 来見屋城の築城年代、築城者について文献には記されていないが、南北朝時代の正中2年(1327年)楠木正成が阿弖川荘の安田(保田)庄司を征伐するために築いたとも、天正13年(1585年)羽柴秀吉の南征時に、五名谷川を挟んで対峙する畠山氏の重要拠点である鳥屋城(有田川町)を攻略するために築いた陣城とも云われるが、詳細は不明である。
 

現 状

 有田川町小川にある浄土宗薬王寺の北方標高387mに城跡がある。
 城跡までは急なミカン畑の中を通る農道が直下まで繫がっており、そこから杉林の斜面を登ると辿り着くことができる。    
 来見屋城は尾根上に東西約150mの範囲にあり、上下2段の曲輪から構成されている。
 上段にある曲輪が主曲輪であり、東端の一段高く土盛りされた場所が櫓台跡と推測され、西端にはL型に折れた土塁と二ノ曲輪へと繋がる虎口、北側には竪堀が掘られている。
 主曲輪より約5m下方に二ノ曲輪があり、全体的に造成が甘いが、北側から西側にかけて横矢折れを伴う土塁がこの城最大の見所である。
 来見屋城は曲輪の造成が甘いことからも居住性に乏しい構造であり、戦いのために急遽築かれた陣城であったと推測される。
 

写 真

                                 
登城口 山道に祀られた三十三観音
主曲輪と大師堂 最高所にある櫓台
 
主曲輪 主曲輪北側土塁
二ノ曲輪に繋がる虎口 主曲輪切岸
主曲輪南側土塁 二ノ曲輪
二ノ曲輪西端土塁 二ノ曲輪南側の竪堀
北側尾根の土橋 鳥屋城方面遠景


経 路

                                                        
 

地 図




紀中地方の城跡