畠山城(はたけやまじょう)
所 在 地 有田郡有田川町金屋 標 高 37m 比 高 0m 築 城 者 畠山氏 築 城 年 室町時代 形 式 平城 遺 構 堀 登城時間 -
歴 史畠山城は紀伊守護職畠山氏の支城である鳥屋城から約800mの位置にある館城である。町史によると、この地は武具の製作等を行う鋳物師が居住していた場所で、金屋の地名の由来になっている。 この城は平時の居住地であり、また有田川と支流の玉川の合流点に近く、水運の重要拠点であったと思われる。 |
現 状城跡は現在の鳥屋城小学校や金屋農村センター(旧鳥屋城中学校跡地)にあったと推測される。当時は台地上に屋敷を構え、有田川や支流の玉川や五名谷川を天然の掘とし、屋敷周辺を堀で固めた要害堅固な平城と思われる。 現在も一部堀跡と云われる谷が残されているが、学校建設時やミカン畑、宅地開発により大きく改変されている。 |
写 真 |
堀跡 | 堀跡 |