要害森山城(ようがいもりやまじょう)

所 在 地  田辺市中辺路町道湯川
標   高  779m
比   高  248m
築 城 者  不明
築 城 年  不明
  式  山城
遺   構  曲輪 土塁 堀切 虎口   
登城時間  45分
 

歴 史

 三越峠は口熊野(西牟婁郡)と奥熊野(東牟婁郡)の境にあり、西の湯川王子から東の猪鼻王子へと繋がる熊野古道の要衝で、中世には関所を設け関銭を徴収したという。
 要害森山城は三越峠の南東約600mにある標高779mの要害森山に築かれている。
 なお築城者は不明であるが、四方に延びる尾根のうち、室町幕府奉公衆であり紀南の旗頭であった湯河氏発祥の地で館を構えていた道湯川に繋がる西側のみ堀切がないことと、当時湯河氏と熊野三山が関銭徴収や社領横領で対立関係にあったことから、熊野三山側からの関所や屋敷への襲撃に備えた詰城として湯河氏が築いたものと推測する。
 

現 状

 要害森山城までは三越峠関所跡にある冠木門の右側から登るが、尾根に出るまでは急斜面である。
 要害森山城は山頂を削平した単曲輪の山城で、西側に低い土塁と虎口が開いているが、この尾根を下ると湯河氏の屋敷があった道湯川に繋がる。
 西側以外の北、東、南の三方の尾根には堀切を設け、特に南側は岩盤を削り約2mの深さで掘られている。
 現在山頂からの眺望は利かないが、当時は熊野古道が周辺を通過するなど交通の要衝であったことがわかる。

写 真

                                 
冠木門 登城口
杉林の中の山道 杉林から急斜面を登る
北側尾根道 北側尾根堀切
曲輪 曲輪
看板 看板
曲輪西側土塁 曲輪西側虎口
曲輪北側斜面 曲輪南側斜面
南側堀切 南側堀切
東側堀切 南側遠景


経 路

                                    

地 図




紀南地方の城跡