萩鬼ヶ城(はぎおにがじょう)
所 在 地 田辺市本宮町伏拝 標 高 107m 比 高 30m 築 城 者 城範永 築 城 年 元徳元年(1329年) 形 式 丘城 遺 構 なし 登城時間 5分
歴 史城氏の祖は越後国小河荘赤谷城主であったが、壽永二年(1183年)長茂の代に、木曾義仲の軍と戦ったが敗れ、囚人となり鎌倉幕府御家人である梶原景時に預けられた。その後幕府より許された長茂は奥熊野のこの地に移り本宮神領を支配したが、建仁元年(1201年)鎌倉幕府に対して長茂は反乱を起こしたため、幕府軍小山朝政と吉野で戦って討死したという。 萩鬼ヶ城は長茂より5代孫の範永が築いたといわれ、支城として鷹巣山城を築き、三越峠ら要所に関所を設け領地安定を図った。 範永より9代孫の家永は、天正13年(1585年)奥熊野統一を目指す新宮城主堀内氏善に萩鬼ヶ城と鷹巣山城へ2隊に別れ攻め入られ、大敗した家永は勢州に奔ったが後に帰郷、伏拝の松の本に居住して松本氏を名乗ったという。 なおすさみ町江住で江戸時代に大庄屋を努めた城氏も同族であるといわれている。 |
現 状熊野川と三越川が合流し三方が断崖に囲まれた小さな丘に城跡がある。現在城跡には三里神社が建てられ、「紀伊続風土記」に記されたような3段に配置された曲輪は消滅している。 萩鬼ヶ城は小規模が丘城であるが、周辺を天然の要害に囲まれた防御性の高い城であったことがわかる。 なお城氏が周辺の「城栗栖」に屋敷を構えてたようだが、その場所は不明である。 |
写 真 |
参道入口 | 参道 |
三里神社 | 本殿 |
土塁? | 境内 |