和深川城(わぶかがわじょう)

所 在 地  西牟婁郡すさみ町和深川
標   高  118m
比   高   46m
築 城 者  松本伊予守
築 城 年  不明
  式  丘城
遺   構  曲輪 土塁 堀切 石垣
登城時間  15分
 

歴 史

 和深川城は阿波国から藤原氏(後の周参見氏)が周参見に入部する以前に築かれ、この地を治めていた在地領主である松本伊予守の居城であったという。
 松本氏はその後周参見氏の支配下に入ったというが詳細は不明である。
 城跡は大辺路街道を見下ろす位置にあることから、街道監視及び関所を構えるには最適な場所と思われる。
 城跡西側にある和深川王子神社は、元は現在より北の宮の谷にあったが、寛永2年(1625年)松本四郎太夫広正により現在の位置に建立された。
 

現 状

 国道42号線すさみ町口和深に世界遺産である熊野古道大辺路長井坂への案内看板を目印に町道を4kmほど入ると王子神社があり、その東側の山が城跡である。
 城跡は北側からの尾根先端部分にあり、現在の町道付近を通っていた大辺路街道を見下ろす位置にある。
 和深川城は単曲輪の城であり、曲輪は東西11m、南北17mの大きさで、周辺を土塁で囲み、南側には腰曲輪に通じる虎口が開いている。
 腰曲輪は南側にあり、南北11m、東西に16mの三角形をしている。
 曲輪から北側尾根を遮断する大堀切があり、切岸には石積みの一部が残されている。 
 また城跡は、かつては栄えていたが草木に覆われさぞかし寂しかろうと役の行者さんが祀られ、地元の方はこの山を行者さんと呼ぶようになったようだ。

 和深川城は小規模な城であるが、土塁や堀切の形をよく残した貴重な城跡である。

写 真

                                 
国道からの目印 和深川王子神社
案内看板 登城口
脇を通る紀勢道 北側尾根から主曲輪方面
北側堀切  北側堀切 
主曲輪切岸  主曲輪切岸石積 
主曲輪 主曲輪
主曲輪土塁 主曲輪土塁
行者さん 腰曲輪に通じる虎口
腰曲輪 腰曲輪側切岸

経 路

                                                   

     

                              

                                

地 図






紀南地方の城跡