中山城(なかやまじょう)

所 在 地  西牟婁郡すさみ町周参見
標   高  56m
比   高  50m
築 城 者  周参見氏
築 城 年  不明
  式  丘城
遺   構  曲輪 堀切 土塁 虎口    
登城時間  15分
 

歴 史

 太間川と周参見川に囲まれた独立した丘陵(標高56m)である大日山に城跡がある。
 この城跡は「安宅一乱記」のみに登場するが、それによると大永5年(1525年)周参見氏一族で内紛があり、周参見太郎が城主であった中山城に一揆衆の旗頭周参見兵衛とそれに同調した大阪少輔らに攻められ、立野城に退去したが、その翌日、その急を聞いた安宅氏の支援を得て一揆衆を鎮圧した。この戦いで大阪少輔は討ち取られ、その霊を弔うため宝篋印塔が建てられたという。
  また城跡の南側麓にある若一王子神社は、天文15年(1546年)当時の周参見左衛門太夫氏安によって建立されたことが棟札に記録されている。


 

現 状

 国保すさみ病院横の山道を車で登ると行き止まりにすさみ町の水道施設があり、その奥に城跡はある。
 城跡は現在祠が祀られている主曲輪が東西15m、南北45mの規模で、地元では「矢止め」と呼ばれている高さ1.5m程の土塁が囲み、西側には虎口が開いている。
  また祠の北側に一段高い平坦地が物見台跡と思われる。
  現在水道施設が建てられている平坦地が二ノ曲輪であり、主曲輪より南側下方にも幅5m、長さ20mほどの帯曲輪がある。
  中山城の開墾や水道施設により改変されているが、北端に出城を構えるなど丘陵部全体に曲輪を配置した大規模な丘城であったのではないかと思われる。 


写 真

                                 
 
主曲輪 主曲輪
主曲輪土塁 主曲輪虎口
二ノ曲輪に建設された水道施設 主曲輪南曲輪

経 路


                                             

    

                                                         
                        
                                

地 図






紀南地方の城跡