神田城(かんだじょう)

所 在 地  西牟婁郡すさみ町神田
標   高  75m
比   高  70m
築 城 者  宇都宮道直
築 城 年  永禄12年(1569)
  式  山城
遺   構  堀切 石垣 土橋 横堀 畝状竪堀群
登城時間  10分
 

歴 史

 築城者は下野国宇都宮城主宇都宮公綱の子孫宇都宮勘解由道直と伝わる。
 道直は織田信長に敗れ四国に逃れていたところを、周参見氏長に食客として招かれ神田山に城を築いたという。
 その後、織田信長への恨みを晴らすため石山本願寺方として戦ったが密かに帰城し、兵器、馬具、兵書類を残し家臣団を解散、姓を神田に改め潮岬に住み帰農したという。
 

現 状

 臨済宗持宝寺裏の金毘羅神社から城跡まで山道が付いている。
 城跡は神田山(標高80m)の山頂にあり、南北に曲輪が配置され、最南側に現在鉄塔が建てられているところが出丸跡と思われる。
 主曲輪は南北40m、東西25mの大きさで、南側出丸方面の尾根には5条の堀切により遮断されてる。
 二ノ曲輪は主曲輪より北側下方にあり、南北30m、東西25mの大きさで、土塁と虎口が残り、主曲輪に通じる階段手前には倒壊した五輪の塔が祀られている。
 両曲輪の西側斜面には10本以上のある畝状竪堀群と、横堀内の移動を妨げるために築かれた石垣造りの障壁など、この地方には珍しい築城技法が用いられている。 

写 真

                                 
金毘羅社より登城 山道
東側土橋 東側堀切
東側竪堀 東側竪堀
二ノ曲輪 二ノ曲輪虎口
二の曲輪土塁 二ノ曲輪墓石
主曲輪石塔 主曲輪
主曲輪社跡 西側尾根堀切
西側尾根堀切 西側尾根堀切
西側尾根堀切 西側端曲輪
北側畝状竪堀群 北側畝状竪堀群
北側横堀 横堀障壁土塁石垣
横堀石垣 切岸石垣
遠景(すさみ市街地方面) 遠景(すさみIC方面)

経 路

                                                   

  

                              

                                

地 図






紀南地方の城跡