江住城(えすみじょう)

所 在 地  西牟婁郡すさみ町江住
標   高  24m
比   高  16m
築 城 者  城氏
築 城 年  不明
  式  丘城
遺   構  曲輪 土塁 堀切 
登城時間  5分
 

歴 史

 城氏の祖は平安末期の武将である平惟茂の子である繁茂であり、越後国鳥坂城を築いたという。
 後裔である城長茂は寿永元年(1182年)平教盛に従い木曽義仲と戦ったが敗れ会津に逃れたが、その後、源頼朝に従い奥州征伐に従軍し活躍した。
  しかし建仁元年(1201年)、長茂が鎌倉幕府打倒の兵を挙げるも吉野で敗死、一族は各地に離散し、長茂の一族が江住の地に落ち延び、JR江住駅付近に「先の城」を築いたが、海岸に近く暴風雨の際に波に現れるため、江住川対岸の「城ノ平」に移ったと云う。 
 なお天正4年(1576年)の春日神社の棟札には周参見氏の名が見られるため、この頃には周参見氏の配下に組み込まれたとものと思われる。

 

現 状

 JR江住駅北側の小高い丘にある春日神社拝殿裏には高さ1.5m程の土塁と道路建設で一部破壊されてたが堀切が形を良く残している。
 この城について文献にも登場しないため城名は仮称であるが、城氏が築いた館城にその後春日神社が建立されたと考える。
 また城跡からは江住川対岸にある城ノ平や詰城である秋葉山城(仮称)が見渡せる。

写 真

                                 
春日神社参道 春日神社境内
拝殿裏土塁(石垣は後世のもの) 拝殿裏土塁
境内東側土塁? 堀切
堀切 城の平、秋葉山城方面遠景
                               

地 図






紀南地方の城跡