秋葉山城(あきばやまじょう)

所 在 地  西牟婁郡すさみ町江住
標   高  100m
比   高   95m
築 城 者  不明
築 城 年  不明
  式  山城
遺   構  曲輪 土塁 堀切 竪堀
登城時間  20分
 

歴 史

 建仁元年(1201年)、鎌倉幕府打倒の兵を挙げるも吉野で敗死した城長茂の一族が江住の地に落ち延び、JR江住駅付近に「先の城」を築いた後に、江住川対岸にある城ノ平に屋敷を構え、裏山に秋葉山詰城として秋葉山城を築いたと思われる。
 応永年間(1400年頃)に阿波より藤原氏(周参見氏)が周参見荘地頭として入部し、江住も支配下に治めたが、城氏もこれに従いこの地に居住し、その後江戸時代中期から廃藩置県までの150年間、江田組(現在の串本町江田)の大庄屋を務めた。

 

現 状

 今年12月に県文化財センター職員の方が、現在津波避難場所に整備されている城ノ平北側にある秋葉山にこれまで地元の伝承もなかった中世山城を発見した。
 今回発見された山城は秋葉山にあるため、秋葉山城と仮称を付けた。
 麓にある城ノ平には城氏の屋敷跡があり、裏山に詰城を築いた根小屋式城郭であると思われる。
 城跡は山頂に南北40m、東西6mほどの細長い主曲輪と、一部崩壊しているが北側に3箇所、南側に2箇所の堀切と主曲輪から南側に約25m下ったところには南北12m、東西16mほどの二ノ曲輪がある。
 主曲輪より北側に10mほど下ったところにも平坦地があるが、傾斜しているため造成されたものかは不明である。
 城跡からは江住集落を一望できるなど、中世山城の立地に適した場所であることがよくわかる。
 

写 真

                                 
登城口 城ノ平に至る階段
城ノ平(屋敷跡) 二ノ曲輪
二ノ曲輪斜め虎口 南側堀切
南側堀切 主曲輪
主曲輪 主曲輪石組跡
北側堀切 北側堀切
北側平坦地 北側竪堀

経 路

            

地 図






紀南地方の城跡