土井城(どいじょう)

所 在 地  西牟婁郡白浜町田野井
標   高  110m
比   高  90m
築 城 者  土井氏
築 城 年  不明
  式  山城
遺   構  曲輪 土塁 石垣 堀切 横堀 
登城時間  20分
 

歴 史

 土井城は安宅氏被官である土井氏の城であり、その後土井家を相続した当主安宅安定の弟である安宅若狭守基定が家督を奪おうと挙兵したが、逆に安定に攻められ没落したという。
 なお麓にある臨済宗天徳寺は江戸時代に現在の場所に建立されているが、この地は元々は土井氏の居館であったとの伝承があり、根小屋式城郭であったと思われる。
   

現 状

 土井城は日置川中流の田野井地区にあり、臨済宗天徳寺裏山標高110mにある。
 熊野参詣道大辺路富田坂から安居辻松峠を分岐し田野井地区に至る街道は、当時富田荘から安宅荘に通じる最短ルートを見下ろす位置にある土井城の重要性が伺える。
 最高所にある一ノ曲輪は小さく、物見櫓か宗教的な施設と思われ、現在大日如来像が建てられている。
 一ノ曲輪より北側に大堀切が1条とそれを越えたところが二ノ曲輪であるが、シダに覆われ形状が確認しずらい。二ノ曲輪から崖を下った尾根には安居辻松峠に向けて4条の連続した堀切により遮断されている。
 一ノ曲輪より南側が主曲輪で、東側に低い土塁がある。
 主曲輪より南側下方が三ノ曲輪で、そこから南側へ下った所に、長さ30mに渡って横堀が掘られ、その内部には石垣が積まれている。
 土井城は城域が200m以上ある大規模な山城であり、遺構も破壊されることなく残存している貴重な城跡である。

写 真

                                 
最高所にある大日如来石碑 北側堀切
主曲輪 山道石積
三ノ曲輪 主曲輪切岸
三ノ曲輪土塁 南側空堀
南側横堀石垣 南側横堀
天徳寺 中山城方面遠景


経 路

 

地 図




紀南地方の城跡