能城城(のぎじょう)
所 在 地 新宮市熊野川町能城山本 標 高 52m 比 高 27m 築 城 者 湯河勝光 築 城 年 延元年中(1336~1340) 形 式 丘城 遺 構 曲輪、土塁、石垣 登城時間 10分
歴 史能城城は湯河荘司光政の弟次郎勝光が、能城に土居を構え、能城氏を名乗った。永禄5年(1562)、能城勝重は湯河直光に従い河内国教興寺合戦に参戦したが、直光が討死するなど大敗し、直光の遺骸を埋葬したという。 勝重は、天正13年(1585)秀吉の紀州討伐により所領を失い帰農したという。 |
現 状能城城は熊野川の支流である赤木川右岸の尾根上に築かれた丘城である。城跡までは北側広場に車を駐車し、そこから取水設備用梯子を登り、設備裏山を登ると北側の屋敷跡と云われる曲輪に到達する。 遺構は尾根上最高所から北側に階段状に曲輪が連なっているが、戦中、戦後に畑として開墾されており、形状の改変が見られる。北側末端にある曲輪の土塁は形を良く残し、切岸には石垣の一部が残る。 尾根の北側には、戦後の水路工事によって造られた切通し部分が堀切跡であり、南側尾根とを遮断してる。 尾根の西側は、赤木川に接した断崖絶壁であり、赤木川が天然の堀をなしている。 能城城は赤木川と熊野川の合流点にあり、舟運上の要衝を押さえる重要な位置に築かれた城である。 |
写 真 |
北側駐車場 | 取水設備用梯子 |
北側曲輪切岸石垣 | 北側曲輪(屋敷跡) |
北側曲輪土塁 | 北側曲輪切岸 |
尾根上曲輪 | 投石用礫石? |
最高所曲輪 | 堀切跡(水路跡) |