御社森山城(おやしろもりやまじょう)

所 在 地  東牟婁郡那智勝浦町南大居
標   高  74m
比   高  66m
築 城 者  政所氏
築 城 年  不明
  式  丘城
遺   構  土塁、堀切、横堀、虎口、石段 
登城時間  15分
       
 

歴 史

  中世に泰地氏が太田荘を領した時、荘官を置いたのが中山城がある庄の地であり、その末裔である政所氏が南大居に屋敷を構え、諏訪神社が祀られた丘陵地に城を築いたとの伝承がある。
 戦国時代末期に太田川流域に侵攻した堀内安房守氏善がこの城を拠点とした際に、大規模に改修を行った可能性もある。
  
 

現 状

 太田川流域にある還流丘陵には多くの城が築かれており、県内でも有数の城郭密集地域である。
 御社森山城は、西側麓に諏訪神社と主曲輪に祠が祀られ、太田川が天然の堀をなす立地にある。
 城跡までは麓の住宅脇に登城口があり、そこから南北に山道が整備されているが、途中雑草が繁茂し、藪漕ぎを要する。
 遺構は南側尾根に二本の堀切が掘られ、各堀切で山道を屈曲させている。
 また主曲輪南側直下にある堀切は横堀と繋がり、そこから竪堀を落としている。
 主曲輪は北側に低い土塁と平入虎口が開き、北側尾根に向けて4段の曲輪が階段状に繋がり、その下を土塁を伴う竪堀と堀切が掘られている。
 その東側に帯曲輪群と北西側にも2段の曲輪が配置されて、更に北側尾根を下ると広々とした平坦地があり、その北側にも堀切と竪堀が残る。
 御社森山城は周辺にある還流丘陵に築かれた見張りや情報伝達を目的とした城と異なり、規模及び遺構とも突出した城跡である。
 

写 真

                                 
麓にある諏訪神社 登城口
南側山道 南側堀切
南側の屈曲した堀切 南側堀切
南側横堀 南側竪堀
主曲輪 主曲輪土塁
主曲輪虎口 北側石段
北側帯曲輪 北側堀切
北側堀切 北側竪堀
北側曲輪 北側帯曲輪


経 路

         
  
             
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      登城経路(動画)

地 図





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