尾捨山城(おすてやまじょう)

所 在 地  東牟婁郡那智勝浦町下和田
標   高  61m
比   高  46m
築 城 者  不明
築 城 年  天正年間(1504年〜1520年)
形  式  丘城
遺   構  曲輪 土塁 溜池跡  
登城時間  15分
 

歴 史

 新宮を本拠とする堀内氏善が那智廊之坊塩崎氏の勝山城を攻め落とすと更に西進する気配を見せたため、太田川流域を治める勢力により尾捨山城は築かれたと思われる。
 尾捨山城は太田川の上・下流域の見通しが良い立地にあり、敵の監視を主なを目的として築かれたと思われる。

 

現 状

 尾捨山城は、麓にある大泰寺境内より鐘楼への参道を登り、そこから整備された階段を登ると主曲輪に到達する。
 主曲輪は東西24m、南北35mの規模で、西側には土塁が築かれ中央部分には溜池跡と思われる窪地がある。
 主曲輪の西から北側を経由して東側に腰曲輪が配置され、東側に虎口がある。
 尾捨山城からは太田川上流、下流域が良く見渡せることから、見張所として利用されていたと思われる。

 なお麓にある古刹大泰寺には国の重要文化財である薬師如来像があり安置されており、境内には永和5年(1379年)に浄春坊という僧侶が建てられたと伝わる石碑もある。
 

写 真

                                 
大泰寺 寺跡
県指定史跡である石碑 大泰寺案内図
鐘楼 案内看板
鐘楼から城跡への山道 主曲輪
土塁 溜池跡
土塁外側 虎口
腰曲輪 瓦片
太田川下流方面 太田川上流方面

経 路


     

                                

地 図






紀南地方の城跡