蚤ヶ城(のみがじょう)
所 在 地 東牟婁郡那智勝浦町井関
標 高 108m 比 高 95m 築 城 者 速水浄厳坊 築 城 年 応永年間(1394-1428) 形 式 山城 遺 構 曲輪、土塁、堀切、竪堀 登城時間 20分
歴 史蚤ヶ城は那智社僧速水浄厳坊が築いたと云われる。天正9年(1581)、廊之坊塩崎氏と実報院米良氏の合戦時に、米良氏に加勢した堀内氏善が蚤ヶ城から那智川対岸にある廊之坊方の清水門善坊の居城石倉山城に攻め込み、清水門善坊には色川勢が加勢するも破り、弟である左京を討ち取るなど勝利している。 |
現 状蚤ヶ城は川関地区の西、那智川右岸の標高108mにあり、対岸にある石倉山城側には小川が周回し、上から見下ろす位置にある。城跡までは、東側麓にある温泉の源泉施設から雑木林の斜面を登ると尾根に取り付き、尾根を南側に登るとゆるやかな山頂に城跡がある。 蚤ヶ城は単曲輪の山城で、曲輪の周辺には低い土塁が取り巻き、東南側に虎口が開く。 西側の尾根には箱状に掘られた堀切が尾根からの敵の侵入を阻み、また西側と東側にそれぞれ敵の横移動を阻害するために竪堀が1条掘られている。 |
写 真 |
温泉源泉施設から登城 | 北側尾根を登る | |
曲輪 | 土塁 | |
土塁 | 西側堀切 | |
西側堀切 | 西側堀切 | |
西側竪堀 | 東側竪堀 | |