粉白殿城(こしろどのじょう)
所 在 地 東牟婁郡那智勝浦町粉白
標 高 52m 比 高 47m 築 城 者 不明 築 城 年 不明 形 式 丘城 遺 構 曲輪、土塁、石垣、溜池 登城時間 15分
歴 史紀伊続風土記に「時代系図は詳らかでないが、粉白殿は当所の領主と見える。時代系図は詳らかでないが、村の中の平治という者の家に粉白殿の位牌が所蔵される。牌面に前粉代歴代領主神霊前粉白歴代夫人淑霊と2行に書いてある。年月を記せず。考えるに太平記大全に、小代兵庫は紀州の者である。覚を好んで武に誉れあった正行の文の師である」と記されているが、粉白殿の詳細は不明である。 |
現 状下里小学校グランド横にある共同墓地から整備された津波避難路が途中まで整備され、そこから放置農地を過ぎると、舌状台地末端が城跡である。遺構は50m×20mほどの平坦地が曲輪であり、周辺を土塁に囲まれ、曲輪南側に帯曲輪と、北側には井戸跡のような窪みが残る。 土塁については後世に築かれた猪垣なのか判断に迷うが、一部は古い石垣で土留めされた部分は当時のものと思われる。 城跡からは現在立木で視認出来ないが、当時は玉ノ浦を視認出来たのであろう。 |
写 真 |
津波避難道 | 曲輪 | |
曲輪 | 土塁 | |
土塁 | 虎口? | |
土塁外部 | 土塁補強用石垣 | |
溜池跡 | 後世の石垣 |