勝山城南出城(かつやまじょうみなみでじろ)
所 在 地 東牟婁郡那智勝浦町浜の宮 標 高 51m 比 高 49m 築 城 者 神光坊重友 築 城 年 天正年間 形 式 山城 遺 構 曲輪、土塁、畝状竪堀群、横堀、堀切 登城時間 15分
歴 史築城者は廊之坊重盛の二男で、神光坊重宣の養子になった重友と云われ、那智山執行代などを務めたという。また勝山城南出城は神光坊屋敷とも呼ばれる。 天正9年(1581)4月、実報院米良氏、堀内氏善、雑賀衆の連合軍との戦いにより、この城も勝山城と同様に落城したと思われる。 |
現 状勝山城南出城は世界遺産であり補陀落渡海の住僧を出した寺として知られる天台宗補陀落山寺の裏山にある。尾根続きに勝山城と谷を挟んで橋爪坊屋敷と呼ばれる勝山城東出城が位置する。 勝山城南出城の主曲輪は6m×10m程と極めて小規模であるが、急な切岸と横堀が周回し、切り残された竪土塁とその南側に捨て捨て曲輪を設けるなど特徴ある縄張りである。 竪土塁より西側に向けて2条の堀切で遮断した尾根先端に出丸的な曲輪がある。 主曲輪北側の緩斜面には畝状竪堀群により横移動を妨げ、また勝山城向けの北側尾根には横堀と堀切により遮断している。 勝山城南出城の曲輪は小規模だが、横堀や畝状竪堀群を用いるなど技巧的な縄張りであり、実報院米良氏との合戦時に大規模に改修されたのであろう。 |
写 真 |
主曲輪 | 主曲輪 | |
主曲輪を周回する横堀 | 主曲輪を周回する横堀 | |
竪土塁と横堀 | 西側堀切 | |
西側堀切と繋がる竪堀 | 主曲輪切岸と捨て曲輪 | |
畝状竪堀群 | 西側尾根末端の曲輪 | |
北側尾根を遮断する横堀と堀切 | 屋敷跡平坦地にある備蓄倉庫 |