勝山城東出城(かつやまじょうひがしでじろ)
所 在 地 東牟婁郡那智勝浦町浜の宮 標 高 40m 比 高 38m 築 城 者 橋爪坊 築 城 年 天正年間 形 式 山城 遺 構 曲輪、堀切 登城時間 15分
歴 史勝山城東出城は勝山城(廊之坊屋敷)の南東にある源行家(新宮十郎行家)の後裔で那智山社僧橋爪坊の屋敷を兼ねた山城である。天正9年(1581)4月、実報院米良氏、堀内氏善、雑賀衆の連合軍との戦いにより、この城も勝山城と同様に落城したと思われる。 |
現 状勝山城東出城は、勝山城南出城と水田跡である谷間を隔てた山上にあり、城跡にはお社が建てられている。お社がある平坦部が主曲輪で、東側尾根上にある二ノ曲輪とは堀切で隔てられている。 主曲輪の周辺は急な切岸と勝山城と通じる北側には二本の堀切を設けれなど防御性が高い。 なお主曲輪西側にある平坦地も改変されているが城跡の一部と思われる。 |
写 真 |
主曲輪 | 主曲輪切岸 | |
北側堀l切 | 北側堀切 | |
東側曲輪 | 西側直下平坦地 |